宿直明けで-その2- 弘川寺

wikipediaによると、
「天智天皇4年(665年)、役小角によって創建されたと伝えられ、天武天皇5年(676年)にはこの寺で祈雨法が修せられて天武天皇から山寺号が与えられたという。
平安時代の弘仁3年(812年)空海によって中興され、文治4年(1188年)には空寂が後鳥羽天皇の病気平癒を祈願し、天皇は回復した。その功によって奥の院として善成寺を建て寺号の勅額を賜わった。
翌、文治5年(1189年)には空寂を慕って歌人と知られる西行法師がこの寺を訪れ、この地で没している。寛正4年(1463年)、河内守護畠山政長が当寺に本陣を置いて畠山義就が立て籠もる嶽山城を攻めたところ(嶽山城の戦い)、逆に本陣である当寺を攻撃されて善成寺もろとも伽藍は焼失した。その後復興し、江戸時代に入り寛延年間(1747年 – 1750年)歌僧似雲がこの寺を訪れ、西行堂を建立している。」

西行はおおよそ30才のときに吉野に厭世し、それから約50年後にこの地で没したという。西行は吉野で没したと思い込んでいた・・・。なぜこの地だったのか?それを解くのも面白いかもしれない。
とはいえ、昔はこの地も吉野によく似た、辺鄙でも物静かなところだったのだろう。
大阪とは思えない、吉野山の西行庵と共通した空気が漂ってた。

西行堂近くは、イノシシが土を掘ったあとが残っていた。


そんなことを考えながら、一通り巡った後、西行記念館もお邪魔した。

記念館を出ると、すっかり日が暮れかけ、たそがれ時になっていた。
山里の夕暮れはなんともノスタルジック。巣に帰る鳥の声、急に冷たく頬を撫でる風、静かに焼けていく空の色、この感覚、忘れないでおきたいものだ。

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