聞く技術 聞いてもらう技術/東畑開人

・聞くことの本質は、相手との関係にあるということです。関係がよければ話を聞けるし、関係が悪くなったら話を聞けなくなります。話が聞けないのは、技術がないからではなく、関係が悪くなっているからです。

・シビアな痛みから生まれる言葉だけが、孤独の向こうにまでたどり着ける。

・分断が刻まれた社会に必要なのは、宣言一つで人々の気持ちを一つにすることではないはずだ。谷間を無理に埋めるのではなく、谷間は谷間として存在を認めること。そのうえで、谷間の向こうからの声を聞き、遠くの耳にまで言葉を届けること。バラバラになった孤独たちの間で、それでもなお言葉が行き交い続けることによってのみ、社会はかろうじて存続しうると思うのだ。

・精神分析家、小児科医 ウィニコット
「対象としての母親」と「環境としての母親」
「対象としての母親」=母親はこういう人だとか、こんな思い出があったとか、ひとりの人としての母親の姿があなたの記憶に残されていると思います。一人のひととして母親を思い出すとき、あなたは「対象としての母親」を意識しています。
「環境としての母親」=あなたが気づかずに、意識されない母親のこと。「環境としての母親」は普段は気づかれない。失敗したときにだけ気づかれる。

うまくいっているときには存在を忘れられ、うなくいかなかったときだけ存在を思い出される。逆に言えば、感謝もされないくらいに自然に行われているときに、お世話はうまくいっている。

ウィニコットによれば「ほどよい母親 good eonough mother」によってなされる。perfectにgoodなのではなく、good eonough が大事。

子どもが大人になれるのは、「環境としての母親」がときどき失敗するからです。子どもはそういうときに「対象としての母親」を意識します。万能感から少し目覚めるんですね。ああ、俺は人に何かをやってもらっているから、気持ちよく過ごせているのだと気づく。ここに成長の萌芽があります。
ただし、重要なのは「ほどよい good enough」というところです。母親が失敗ばかりしていたら、赤ちゃんは最悪死んでしまいますよね。
「ほどよい」というのは、大体はうまくやれているけれど、ときどき失敗することであり、失敗したならば、失敗したと気づいて挽回しようとすることです。その塩梅が絶妙なのが、good enough。

・人間にとっての真の痛みとは何より孤独であることです。聴くには現実を変えるちからはなくとも、孤独の痛みを慰める深いちからがあります。

・話を聞くためには、誰かに話を聞いてもらう必要があります。孤独な挑戦をするためには、後ろで支えてくれる仲間が必要です。

・余裕のない社会がそれでも社会であり続けるために、「聞く」が求められています。しかし余裕がないからこそ「聞く」自体が不全に陥っている。これが僕らの置かれている状況です。

・孤独はただつながりが提供されるだけでは解決されない。孤独の最中にいるとき、人は差し出されたつながりを拒絶し、自ら破壊してしまう。心の中の暴力的な他者のせいで、そのつながりが安全なものだと思えないからだ。タフな仕事になる。彼らのおびえを理解したうえで、粘り強く関わりを重ねるしかない。心に安全な個室を再建するためには、長い長い時間が必要だ。

・重要なことは、心の中で一人ポツンといるためには、外の現実で手厚く守られている必要があることです。・・・現実的なサポートがあって、心が脅かされていないときに、僕らは心の個室を手に入れることができます。
ウィニコットはこれを「ひとりでいられる能力」と呼んでいます。

・孤独の前提は安定した現実。逆にいうと現実が不安定で、厳しい状況のとき、人は孤立に追い込まれやすくなる。

・ハウジングファースト

・メンタルヘルスの本質って、結局のところ、「つながり」なんですね。

・心は人々の間を回遊しているのが自然で、個人に閉じ込められると病気になる。

・結局のところ、信頼とは時間の経過によってしか形作られないものです。

・支援者自身が、支援してもらう必要がある。聞く仕事をしている人には、大量に聞いてもらう時間が必要です。

・いま僕らが必要としているのは、強みではなく、弱みを、カッコいいところではなく、情けないところをわかってもらうための技術です。・・・賢い頭ではなく、戸惑う心です。

・「聞いてもらう技」とは「心配される技術」にほかなりません。このとき変化するのは、自分ではなく、まわりです。環境を変質させるのが「聞いてもらう技術」の本質です。

・気まずい時間にしばし耐えて、あなたの体を他人の体と一緒に置いておきましょう。一見無駄に見える時間の積み重ねが、人と人とを仲良くさせてくれます。

・「聞いてもらう技術」緊急事態編は、「ちょっと聞いて」と言葉で言わずとも、まわりの方から「なにかあったの?」と聞いてもらうための技術です。

・自分が苦しい思いをしたことが参照点になると、他者の苦しさを想像しやすくなる。

・人が人を理解することの根本は、専門家が専門知識を通じて理解するというようなものではなく、ふつうに生活している中で知人と「それ、つらいよね」とかわす気持ちのやり取りなのだと思います。

・ちゃんとしたひとのケアができるようになるためには、その危機を脱していないといけません。

・苦境にあるときは、時間的展望は強い支えになります。

・やさしくされることでしか、人は変われないし、回復できません。

・世間知とか「ふつう」がユニバーサルなものじゃなくて、ローカルなものであるのが重要です。

・きちんとつながりがあるならば、目に見えにくいかもしれないけれど、小さな配慮が大量になされていきます。
つながりがあるときの時間の流れは治療的で、つながりがないときには破壊的になる。時間を生かすも殺すも、つながり次第。

・みんなが心配している。そして、本人もしばしその心配に頼ることが出来る。それが心の回復の核心です。
言葉を変えるならば、次のようになります。
みんなが聞こうとしている。そして本人も聞いてもらうことを恐れなくなっている。
そういうときに、心は回復していく。
ここに、聞くことののちからがあります。
・その白と黒の裏側にある傷つきの物語に耳を傾けるために、ひとまず自分の意見はおいておく。

・対話が成立するのは、お互いの複雑さを複雑なままに理解しあえるときだけです。

・自分にも複雑な事情があったこと、自分なりに切実な思いをしてきたこと、そういう気持ちを分かってもらい、苦しい気持ちを預かってもらえると、僕らの心にはスペースができます。そこに複雑な自分の置き場所ができ、他者の複雑さを置いておくことができるようになる。

・対話から問題解決が始まるのではなく、対話をできる状態になること自体が最終目標です。

・当事者であるときは話を聞いてもらい、第三者であるときは話を聞いてみる。立場は交互に入れ替わります。
あるときには聞いてもらう側だったけど、別の時には聞く側になる。「聞いてもらう技術」をつかうときもあれば、「聞いてもらう技術」を使っている人を見つけて「なにかあった?」と尋ねるときもある。
「聞く」がそうやってグルグルと循環しているときにのみ、「社会」というものはかろうじて成り立つのではなでしょうか?

・不安のあまりに暴走したり、痛みのあまりに他者を攻撃したりしている人も「聞いてもらう技術」を使っています。そこには聞かれていない長い話があって、誰かに聞かれることを待っています。

・誰かの話を聞いてもいいし、誰かに話を聞いてもらってもいい。どちらから始めても、「聞く」はグルグルと回り始めるはずだから。「聞けない」と「聞いてもらえない」の悪循環を、「聞く」と「聞いてもらう」の循環へ。そのための最初の一滴をこの社会は必要としています。

・・・・今でもひとつだけ、神秘的に思えることがあります。
「聞くことのちから」です。
苦境になるとき、誰かが話を聞いてくれる。不安に飲み込まれ、絶望し、混乱しているときに、その苦悩を誰かが知ってくれて、心配してくれる。
ただそれだけのことが、心にちからを与えてくれる。現実は何も変わっていないのに、不安が和らぎ、考えるちからが戻ってくる。

・苦境に置かれ、孤独になり、心が絶望に覆われたときに、「聞くことのちから」は忘却される。いや、結局のところ、その力を見失うことを「孤独」と呼ぶのだと思います。
重要なことは、孤独じゃないときには誰もが知っている、この当たり前の神秘を覚えておくことのはずです。

・それでも、他者が重たいものを一緒に持とうとしてくれていることは伝わる。これが気を軽くしてくれる。
いや、違います。そういう主観的な感覚だけの問題じゃありません。重要なのは、何かあれば、その人にまた相談ができるというソリッドな事実があることです。
そのとき、僕らはもはや孤独ではなくなっている。
これこそが「聞くことのちから」だと思うのです。

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