
早朝ウォークはいつものコース。
いつも目にするものばかり。


しかしこの、いつも目にするものに意味あり。
この「いつも目にするもの」は、概念(言語化)されて脳の新皮質で処理される。
これは高次脳機能ではあるが、アジサイはただ単に「あじさい」として処理され、あじさいの傍らに咲く小さなそれ以外の植物は見捨てられる。
いつも目にするものの変化を微細にとらえるならば、人間がサルだった時代から引き継がれている脳の旧皮質、低次脳機能を使わなければならない・・・、という話を、今度の法人内研修でしようかと思っている。
訳わからんか?






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