甲子園の昔ばなし

高校野球を何気に観ていたら、思い出すことがあったので記しておこう。

確か小学1、2年生の頃のこと。
母親から誕生日にもらったグローブを持って、夏休みともなれば毎日野球とゲンジ採りに明け暮れていた。
僕の家のとなりには八百屋の嫌なオッサンがいて、いつも意味の分からない話しかけをしてきた。
隣の家の前は、もう一つの家に行くときなど、ささっと走り去ればいいのだけれど、家の裏には共同の井戸があり、共同のトイレもあって、完全に避けることはできなかった。
近所の大人社会でも結構な嫌われ者で、とにかく疎ましかった。

母親も家の中ではそのオッサンの愚痴を言うが、そのオッサンとは一通りの会話をしていたし、たまに大きな声で笑ってもいた。
なんで悪いことばかり言うのに、あんなに楽しく話せるのか・・・、と当時は思ったものだ。

その嫌なオッサンが、甲子園に連れて行ったろか?と言ってきたから仰天だ。
「甲子園」・・・、この言葉に魅了されて、僕は「うん」と返事した。
すでに母親にこのことが伝わっていたようだった。
この当時、祖父と祖母も一緒に住んでいたが、隣のオッサンとだけ行ったのかなあ・・・、そこの記憶は曖昧だ。

当時は近鉄大阪線、国鉄環状線、阪神神戸線と乗り継ぐ、結構な重労働。
しかし、すべてワクワクだったことだろう。
隣のオッサンがいなかったら・・・、もっと。

当日観戦したのは地元奈良の天理高校の試合で、見事に勝利し、大満足で帰ってきたのを憶えている。
名物の「かちわり」も食べた。
かちわり、ってこういうのを言うのか!

随分時がたち、僕が大学に入学した時は、そのお祝いにと近鉄特急の回数券を送ってくれた。
近鉄特急の回数券なんて、とてもしゃれている!
遠いところまで通う僕に思いを寄せて、考えてくれたように思う。
ひょっとすると誰よりも喜んでくれたのかもしれないなあ。

「もう全部つこたか?」とか、また嫌な声掛けがあったりしたが、片親で育った自分が地域で育てられた実例なのかもしれない。振り返れば、いい時代だった。

近隣にも大きなスーパーが次々とでき、隣は八百屋を閉めて空家になった。
近くに移り住んだオッサンは亡くなり、オバサンも亡くなった。

いま、そこには違う人が住んでいる。

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