加藤優一『銭湯から広げるまちづくりー小杉湯に学ぶー』読了記

加藤優一氏
東北大学大学院博士課程満期退学
建築家、銭湯ぐらし代表取締役

・銭湯は気張らずに行ける日常の居場所だということだ。銭湯つきアパートの住人にとって、銭湯の価値は実に多彩だった。ある人にとっては明日の英気を養うための自分へのご褒美であった。そこでは文字通り裸になるので、自分を偽る必要はなく、ありのままの自分と向き合うことになる。自分を受け入れることは、他者に寛容になることを促してくれる。服と一緒に肩書も脱ぎ捨て、同じ釜の湯につかれば人は平等だ。

・「SNSでは、名前は知っているけど会ったことのない人がほとんど。銭湯はその逆で、見たことあるのに名前は知らない人がほとんど。その感覚が面白い。」

・自分一人でマンパワーやモチベーションを保てなくても、だれかとならできることがある。だから活動は、あえて未完成な状況を見せた方がいいと考えている。

・活動拠点を決める時に意識しているのは、地域の資源に目を向けることだ。新しい建物をつくったり、1つの場所だけで価値をつくらなくても、すでになる資源を組み合わせるだけで、十分新しい価値になる。

・銭湯をここ数年のブームで終わらせないためには、暮らしに銭湯を取り入れる人々の母数を増やす必要がある。そのために、小杉湯は「銭湯を守る(求心力)」、銭湯ぐらしは「銭湯のある暮らしを広げる(遠心力)」という役割分担にした。

・銭湯の居心地として、余白を感じる時間やほどよい距離の人つながりを感じられる場所にしたいと考えた。

・銭湯がセルフサービスである点に着目した。そう聞くと手間に感じる人もいるかもしれないが、自分で自分の居場所をつくる感覚は以外に心地よい。

・利用者同士が交流できる掲示板やセルフコーナーを設けたり、スタッフを介さなくても場に関れる仕掛けを空間にいくつも埋め込んでいる。

・よく更新する掲示物は現場スタッフが手書きで対応するようにしている。完璧に仕上げすぎると隙のない空間になり、時として疎外感を与えてしまうことがあるが、新しさと懐かしさ、整える所とあえて崩す所をバランスしながら、親しみやすい空間になることを心掛けた。

・部屋の名付けにも意図がある。小杉湯となりでは1階を「台所のような場所」、2階を「書斎のような場所」と呼んでいるが、明確な部屋名はない。(中略)。使い方を決め切らず、一人ひとりが居心地の良い過ごし方を見つけてほしい、という願いを込め、あえて部屋名を決めないことにした。(中略)複数の目的が同居する場所になっている。(中略)その日のモードに合わせて環境を選択する自由もある。

・担い手が当事者意識を持つことこそが、事業の継続性を高める。そのうえで、ここ一の「やってみったいこと」を掛け合わせることで、新しい価値をつくることを心掛けてきた。やってみたいことは、だれかのサポートでもいいし、本業の職能とは別の内容でもいいが、自分で決めることを大切にしている。

・場の使い方を決める際は、既存の要とだけで考えずに、選択肢を広げておくことや、あえて用途を決めないことが、後の運用で効いてくることもある。

・「1人になれる場所」と「交流できる接点」が両立し、過ごし方や人との距離を選べることが価値になっている。

・大切なのは、変化を前提にすることだ。

・どんな風景を実現したいのか。

・身近な人を講師に招いた暮らしの勉強会

・例えば、場が盛り上がっているときにこそ、居づらさを感じている人がいないか気を配るようにしている。

・小杉湯となりは、全員参加型のコミュニティではない。あくまで、自分の暮らしを良くしようとする個人の集まりだ。この前提があることで、多様な活動が共存できている。

・挨拶するときも「いらっしゃいませ」は他人行儀だけど「お帰りなさい」だと距離が近すぎると感じる人もいる。関係性にもよるが「こんにちは」くらいの距離感をベースにしている。

・先にルールをきめた方が楽だが、できないことを決めつけてしまうのはもったいない。できる方法を一緒に考えることで新たな気づきがあるし、ニーズに応じた仕組みができていく。意見をすべて取り入れるわけではないが、良いと思えることはクイックに試してみる姿勢を大切にしている。


・小杉湯となりにおけるスタッフの役割は、小杉湯となりを「自分が居ていい場所」だと感じてもらい、そのうえで「やってみたいこと」が生まれたときに、背中をそっと押すようなコミュニケーションを図ることだ。

・銭湯ぐらしの目的は「銭湯のある暮らしを広げる」ことだ。その方法として小杉湯となりの運営だけでなく「まちづくり・ものづくり・ことづくり」の三本柱で事業を行っている。

・組織の特徴の1つが、ほぼ全員兼業で触手も世代もバラバラなこと。各々が自分のかかわり方を選び、その役割を担っている。

・主に4つのチームがあり、情報発信や分析を行うPRチーム、利用者の居心地向上を目指すCSチーム、小杉湯や近隣店舗との連携を図る地域連携チーム、現場のオペレーションを担う現場チームからなる。

・職種・世代が異なるメンバーが集まると、日々のコミュニケーションのなかで誤解が生まれることもある、そのため、いくつかの行動指針を設けている、例えば「違いリスペクト」だ。互いの違いを認め合ったうえで伝わりやすく、ポジティブな言葉を選ぶなど、個性が活きるような伝え方を心掛けている。

・役割分担が出来る人が現れたときに、想定内を期待するのではなく、想定外を楽しむスタンスが大切だ。

・休みの摂り方も気をつけている。「音信不通DAY」という日を設ける人もおり、そのの日は連絡をい返さなくていい。この取り組みは副次的な効果もあり、「自分がいないとダメだ」と思っていた人が、意外とそうでもないことに気づいたり、「あの人が居ないから自分で判断しよう」と行動する人が現れたり、権限移譲のきっかけにもなっている。

・ポイントは「多様性・主体性を育む」ことだ。多様な人が関わることで新しい発想が生まれ、主体的にかかわる人がいることで自律的な場の運営が可能になる。そのベースとして必要なのは「私が居てもいいんだ」と思える寛容な場だ。マネジメントの役割の一つが、その寛容さを保つことであり、そこから生まれる「私もやってみたい」という気持ちを応援することにある。

・人は人を選ぶが、場は人を選ばない。(中略)コミュニティが目的になると、参加者との関係性や運営者の意向で、居心地が左右されることもあるが、「場」が目的であれば参加の幅と風通しを保ちやすい。

・人が関わる接点を増やすことで、コミュニティが閉じないようにしてきた。さまざまな人が居やすい場を保つことで、人が集まり、コミュニケーションが生まれ、時としてコミュニティが醸成される。この順番を意識したい。

・私たち運営側も率先して場を楽しみ、より良い使い方を体現できるよう心掛けている。運営者が利用者の、利用者が運営者の気持ちになれる関係づくりが、お互いの居心地のために必要な視点だと考えている。

・手段を変えても目的を変えなければ、場の価値は保たれていくはずだ。逆に変わらないことに固執しすぎると、場の柔軟性が失われることもあるだろう。小さな変化が常態化すれば、それが日常になる。変化を恐れず、トライ&エラーを繰り返していくことが、長く続く場づくりの秘訣かもしれない。

・「エリアリノベーション」とは、建物単体の再生を意味するリノベーションを同じエリアで複数展開する手法だ。点の変化をつないで面に展開することで、地域全体の価値を高めていく。

・まちの風景をつくっているのは、建築だけでなく、そこに関る人と時間だということを改めて感じた。さらに印象的だったのは、どのプロジェクトの担当者も、自分の暮らしを自分の手でつくることを楽しんできたことだ。

・最初は1つの点として生まれた活動を、当事者としてつなぎ合わせ、面に展開していく。この手法が、計画の対象を「場」に限定せず、「人」や「時間」まで視野に入れ、実践を伴うことで実現しうる。

・事前に計画できることばかりではない。一連の流れに身を置きながらフィードバックを繰り返すことが大切なのだ。計画者の視点でまちを客観的に見つつも、実践者の視点でまちを主観的に体験することでしか描けない風景がある。

・「住宅・職場・第三の場所」の境界が緩やかになり、家の概念はまちに拡張していくと考えている。

・住宅・職場・第三の場所を一体的に考えることは、生活の充実だけではなく地域の持続可能性にもつながる。これからは建物単体ではなく、まち全体を生活拠点として計画する視点が必要だ。

・これからは家族・会社・コミュニティが重なり合うような組織に、複数関わる人が増えるのではないかと考えている。

・多様な価値観を持ち寄ることで個人ではつくれない事業を生み出す。また一方で、金銭的報酬だけでなく生活基盤や社会関係資本を共有する。この生活・仕事・交流のスペースがあることで、メンバーは多様なかかわり方を実現出来ている。新しい事業に挑戦する人もいれば、子どもに地縁をつくるために小杉湯となりを支える人、ボランティアで関わりながら豊な生活環境を手に入れる人もいる。

・日本に昔からある「百姓」のような生き方の集合体と捉えられるかもしれない。百姓には多様な生業を持つという意味があるそうだ。複数のスキルと収入源を持ち仕事と生活がシームレスにつながる生き方だ。1つの組織にすべてをゆだねる時代は終わりつつある。

・「だれにでも開かれた場所」と捉えられている公共空間だが、「適度に閉じる」ことで結果的に開かれる場合もある。加えて、大きな計画によってつくられる不変的な空間としてではなく、個人の行為から生まれる可変的な空間として捉えることに可能性を感じている。

・開かれた空間とは「私的空間を持ち寄ることができる空間」であり、共有空間とは「私的空間がネットワークすることで現れる一般的な空間」と捉えることができる。言い方を変えると、公共空間は「私的空間と共有空間を内包しうる空間」であり、時間によって変化する状態こそが公共的だと言える。

・場に暮らしの要素を取り入れることが、自らを開き、他者への寛容さを生む一助になる。

・公共空間をつくる際は、不特定多数に開くことを前提に規制の方法を考えるのではなく、適度に閉じることを認めたうえで、暮らしを持ち寄れる空間を計画したほうが、開かれた公共訓感の実現には近づくはずだ。

・これまで人々の生活圏は、集落から学区、駅やコンビニというように、共同体から個人へと移行してきた。しかし、強いつながりから開放された一方で、気づけば弱いつながりすらも失ってしまった。今求められているのは、その中間にあるコミュニケーションではないだろうか。

・私は前著(中略)で、世の中の価値感が(中略)、所有から共有へと移行する背景には、新しい共同体への帰属意識が求められていることを考察した。2023年、あれから7年以上経った今「所属から接続へ」という価値観の変化が起きているように思う。「接続」は「所属」よりも弱いつながりであり、一歩手前の状態だ。最初からコミュニティに参加せずに、まずは自分の距離感で関われる接点を持つ。そして相性の良いものを選び、少しずつ関わりを深くしていく。接点は複数あっていい。他者との関係性を作るために、太い一本の線を選ぶのではなく細い線を重ね合わせる感覚だ。これは空間や組織のつくり方に影響する。集約から分散へ、所属から接続へ。

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