「北山村」はなぜ和歌山県の飛び地なのか

和歌山県北山村のおくとろ温泉の周辺は、夜になると敷地内外の外灯が灯る。
おくとろ温泉は、観光としての筏流しの拠点であり、観光やアウトドアを楽しむ人が、温泉や宿泊、キャンプ等で集うランドマーク。結構明るいが、それでも前を走る国道からは夜空を狙うとそれなりに天の川を撮影することができる。
言葉では表現しにくいが、北山村は和歌山県なのだが和歌山県とは隣接せず、奈良県と三重県の間に存在する村ということになる。

なぜ飛び地になったかは、ネットを少しググるとすぐに知ることができる。

以下はその一つのサイトからの転記。

北山村は古くから林業が発展しており、豊臣秀吉に北山村産の木材の品質を認められ朱印状を与える程でした。徳川家康が江戸城を建てた際にも北山材を使ったと史書に記されています。

筏にした木材は、筏師の高度な技術によって村から川を下って木材の集積地である新宮(和歌山県南部)まで運ばれました。この“新宮まで木材を運んでいた”という事が北山村が現在飛び地である大きな理由の一つとなりました。

 当時、木材の輸送方法には川で流す方法しかなく伐採した木は筏(いかだ)にして村を流れる川を下って都会まで運んでいたのだそう。それに伴って村の筏流しの技術は高くなり、北山村には多くの筏師が住み、やがて筏師集団の村として知られていきました。

北山村が和歌山県に編入されたのは1871年(明治4年)の廃藩置県の際。
当時、村の人口の大半は筏師が占めており新宮木材業者と筏師は切っても切れない関係で成り立っていました。そこで地理的には奈良県になるところ、新宮との経済的な結びつきや「新宮と同じ和歌山県がいい」という村民の声が多かった事から和歌山県に編入されたのだそう。その後の1889年(明治22年)に5つの村が合併し北山村となったのだそう。また「平成の大合併」の際には近くの市や町との合併の案もあったが、「和歌山県北山村」として続く事に。そうして、北山村は“珍しいタイプの飛び地”となったのです。

筏と筏師とともにあった辺境の村、北山での星空撮影。

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