和歌山県北山村に住む村人は、かつてはそのほとんどが「筏師」だった。
奥深い山から木を伐採し、筏を組み、そのまま新宮まで川を利用してたった一人で運んだらしい。
命がけの筏師の報酬はそれだけにことのほか高かったと言われる。
身に着けるものはおしゃれであったし、新宮では宿泊しながら豪遊して帰ったとの説明を、筏に乗りながら受けた。
因みに新宮の色町の残照はいまに伝えているらしく、Youtubeや検索画像で伺い知ることが出来る。
昭和38年、ダムの建設によって筏による運業は不可能となった。
その伝統や技術は、昭和54年に「北山川観光筏下り」という形で、現在に引き継がれている。


渓流は時には緩く、時には速く、あるいは狭い広いを繰り返す。
両岸は火山の影響により、独特な地層があらわになっている所があり、景観を楽しみながら乗ることができた。
流れの速い区間は基本的には座りながら過ごす。
そうすると、腰から下が濡れないということはまずない。
臀部は水に浸かり、膝までしぶきがかかる。
連日のこの暑さだ、水は冷たく、気持ちがいい。






現在の筏師は、ほとんどが兼業らしい。
林業、農家など様々だが、この時季は屈強な男たちが集まり、体を張って筏を操る。
一日従事すると、2キロは痩せるのだそうだ。
ここで生まれ育った人だけではなく、村外から来る筏師もいた。


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