老後の過ごし方とかなり共通点があるんじゃないか?

・日本に比べるとドイツは〝サービス砂漠〟である。おもてなしという概念はほぼゼロの国だ。私はここに 29年住んでいるので慣れているが、日本から初めて来た人が受ける衝撃には相当なものがあるはずだ。日本では「お客様」としてまるで真綿にくるまれるように店員から優しく接してもらえるが、ドイツでは「客扱い」されないことがしばしばある。

・ドイツには「閉店法」という法律があり、店を開ける時間が規制されている。この法律によると日曜日と祝日の店の営業は原則として禁止されている。午後 8時から翌朝 6時までは店を開いてはならない。例外はガソリンスタンド、薬局、空港、大きな駅の売店などだ。ドイツには 24時間営業のコンビニエンスストアや、夜中まで開いているスーパーマーケットはない。

・コインに表面と裏面があるように、あらゆるものには光と影、長所と短所がある。私は毎年日本とドイツを行き来する間に、「日本のおもてなしは客にとっては素晴らしいことだが、サービスを提供する側にとっては、過重な負担になっているのではないか。日本の店員や郵便局員の労働条件は、サービスの手抜きをしているドイツよりも、悪くなっているのではないか」という思いも持つようになってきた。

・サービスに対する期待度を下げてしまえば、サービスが悪くてもあまり不快に思わない。「自分はお客様なのだから、良いサービスを受けて当たり前だ」と思い込んでいると、サービスが悪いと頭に来る。腹を立てると、その日は損をしたような気がして楽しくない。いやな思いをするのは結局自分である。

・サービスに対する期待度を下げると、スーッと気持ちが楽になる。私の態度について、「悪いサービスの前に降伏したのか」と呆れる人もいるかもしれないが、この方が精神衛生上、メリットが大きい。

・ドイツ人は、中身が少ないのに紙箱などによって嵩を増やして見せる商品を「モーゲルパックング(見せかけの誇大包装)」と呼んで忌み嫌う。

・ドイツ人は森や公園など、自然を満喫することも日本人以上に重視している。静けさや豊かな自然は、お金では測れない価値である。

・日本に比べるとドイツでは過剰サービスが少ない。全体的にサービスの水準は低く、みんなが店やホテル、交通機関での不便を我慢しながら暮らしている。彼らは他人に多くを求めない生活、自分のことは極力自分で行う生活に慣れている。

・過剰なサービスをなくせば、企業や店は人件費を節約でき、商品やホテルなどの価格も割安にできるので、生活にかかるコストも小さくなる。つまり、サービスをあえて低水準にすることによって、お金に振り回されない生活を可能にするメカニズムがあるのだ。それによって働く者にとっては労働時間が短くなり、消費者にとっては物の値段が割安になるという利点が生まれる。

・「ドイツの新しい通貨は自由時間だ」

・「お金も大事だが、自由時間はもっと重要だ」という人生観を持つ労働者が多い。

・私は自分の時間の主人ではなかったのだ。

・お金の奴隷にならないための前提は、自由時間を増やし、心にゆとりを持つことだ。そのためには社会全体が働き方を変え、過剰サービスを減らす必要がある

・「労働によって自己実現をする」と考えている人は、(ドイツは)日本よりも少ない。いわんや健康を犠牲にしてまで長時間労働をする人はほとんどいない。

・大半のドイツ人は、「仕事はあくまでも生活の糧を得るための手段に過ぎない。個人の生活を犠牲にはしない」という原則を持っている。

・日本でしばしば耳にする「仕事は終わっているのだが上司がまだ帰らないので、自分も職場に残る」とか、「基本給が低いので、残業をすることによって手取りを多くする」といった事情はドイツでは全く理解されない。

・彼らが働く時間は、日本人よりも毎年 354時間短い。

・日本の有給休暇取得率は 50%。これは、同社が調査した 12ヶ国の中で最低である。

・ドイツ企業では管理職を除く平社員は、 30日間の有給休暇を 100%消化するのが常識だ。有給休暇を全て取らないと、上司から「なぜ全部消化しないのだ」と問い質される会社もある。 管理職は、組合から「なぜあなたの課には、有給休暇を 100%消化しない社員がいるのか。あなたの人事管理のやり方が悪いので、休みを取りにくくなっているのではないか」と追及されるかもしれない。したがって、管理職は上司や組合から白い目で見られたくないので、部下に対して、有給休暇を 100%取ることを事実上義務付けている。

・日本では、「有給休暇を取る際に罪悪感を感じる」と答えた人の比率が 63%と非常に高かった。フランスでは、この比率はわずか 23%だ。

・集団の調和を重視する日本の教育システムは、「他の人が額に汗して働いている時に、自分だけが遊んでいてはいけない」という罪悪感を植え付ける。他の人が苦労している時には、自分も苦労することによって、集団との一体感と安心感を得る。

・みんなが交代で毎年 6週間の有給休暇を消化しても、日々の業務は滞りなく進んでいる。部長や課長が休暇期間には決裁権を部下に与えるからだ。

・休暇の重要な目的の一つは、気分転換だ。会社以外の世界も存在すること、そして自分が会社員であるだけではなく、「人間」でもあることを、改めて認識する。

・ドイツ国民たちがゆとりのある暮らしをしているからといって、経済が停滞しているわけではない。意外なことに、ドイツ人は短い労働時間で、日本人よりも多くの付加価値を生み出している。OECDによると、 2017年のドイツの国民 1人あたりの GDPは、 4万 3892ドルで、日本( 3万 8202ドル)よりも 14・ 9%多い。言い換えれば、日本人は毎年ドイツ人よりも 354時間長く働いているのに、国民 1人あたりの GDPは、ドイツよりも約 13%少ないのだ。

・なぜ、日本では消費を娯楽としている人が多いのだろうか。私は前章でも触れたように、自由時間が少ないためだと考えている。会社での仕事が忙しいために、自分が自由に使える時間が少なくても、買い物ならば比較的短時間で行える。

・つまり、我々日本人はまとまった休みを取れないこと、労働時間が長いことによって溜まるストレスを、パーッとお金を使うことで発散しているのではないだろうか。

・春にはツグミなどの小鳥のさえずりを聞きながら、秋には足の下で粉々になる落ち葉の香りを嗅ぎながら、冬には雪を踏みしめながら歩く。お金は一銭もかけずに、世俗を忘れて自然の懐に抱かれながら、気分転換をする。ドイツ人の生活の中で散歩は重要な位置を占めている。

・リサイクルへの努力は過剰な消費を避け、お金に振り回されない生き方にもつながっていく。この国がリサイクル大国であるという事実は、ドイツ人が物欲という鎖に、そして、大量消費・大量破棄という鎖に束縛されることなく、比較的少ない所得でも「豊か」な生活を送れることと表裏一体の関係にあるのだ。

・過剰なサービスや消費は、エネルギーの浪費にもつながる。残業時間が長くなったり、消費されないでゴミとして捨てられる製品や商品を作ったりすれば、電力やガスが不必要に多く消費されるからだ。宅配便のトラックが、不在だった客に荷物を届けるために何度も道を走れば、そのぶんガソリンが多く消費される。  したがって、ドイツ人は過剰なサービスや長い労働時間、週末のオフィスワークなどを避けることによって、間接的にエネルギーの節約に貢献していることになる。また何事においても効率を重んじ、無駄な出費を嫌うので、エネルギー消費においても節約が好きである。

・知り合いのドイツ人は、「 CO2の排出量の削減に少しでも貢献するために、プライベートな国内旅行には、もう飛行機や車は使わずに、列車を使う」と語る。  もちろん、この人だけが飛行機や車の旅行をやめたからといって、実際に CO2の排出量が大幅に減るわけではない。我々日本人は、「自分一人が車や飛行機を使うのをやめても、二酸化炭素排出量は大きく減らないのだから、車や飛行機を乗るのを控えてもしょうがない」と思うのではないか。重要なのは、このドイツ人のように考える人が少しずつ増えることによって、中長期的に車や飛行機から列車に乗り換える人が増えること、そして地球温暖化と気候変動の問題を自分に身近な問題として捉える市民が増えることである。

・大半のドイツ人の暮らしは質素であり、日本人ほど消費活動に重きを置かない。それでも私は、全体として見るとドイツが「豊かな」国だと感じている。その最大の理由は、全ての人が仕事だけに束縛されずに、自由時間を楽しんでいるからだ。日本に比べると、「会社の都合」だけではなく「労働者の都合」が配慮されている社会だと言ってもいい。

・一部の宅配業者が日曜日の配達をやめたり、小刻みな配達時間の指定を変え始めたりしたことは、大いに歓迎すべきだと思っている。ユーザーは 1日くらい配達が遅れたからと言って、目くじらを立てるべきではない。我々消費者は、働く人々の生活の質にも思いを致すべきだ。つまり、我々ユーザーも意識を変えることが求められている。企業への依存心や手厚いサービスを求める甘えを減らすことである。そのためには、自分でできることは自分でやるという基本的な姿勢が重要だ。

・残業時間の規制についての法律が施行されても、客側の意識が変わらなければ、本当の働き方改革はできないと思う。客側の理解と協力が得られて、初めて社会全体で残業時間を減らすことができるのではないだろうか。

・日本企業の取引関係の属人性を薄めることが重要だ。仕事は人につくものではなく、会社につくものだという意識を社会全体に浸透させる必要がある。

・彼らは、ステータスシンボルであるベンツや BMWではなく、割安のシュコダ(チェコ製)やダチア(ルーマニア製)に乗っていても恥ずかしいとは思わない。会社に束縛されない自由時間、芸術や家族との幸福な生活など、金銭では測れない価値を追求しているからだ。その意味でドイツの一部の人々は、ポストマネタリー社会(脱金銭社会)とも言うべき方向を目指している。

・ドイツの間には法律や文化の違いがあるので、働き方を比べることはできない」という意見もある。しかし、人間の一生が 1度しかないということについては、日本人とドイツ人の間に差はない。失われたお金はもう一度稼ぐことができるが、失った時間を取り戻すことは絶対にできない。その意味では、「新しい通貨は自由時間だ」というドイツ人の見方には一理ある。我々が人生という舞台の上でスポットライトを浴びていられる時間は、意外と短い。

・長い道程のスタート地点は、自分でできることは他人に頼らず、期待度と甘えを減らして過剰なまでに手厚いサービスを求めないことだ。さらに客である自分にサービスをしてくれる店員たちも家庭やプライベートな生活を持っているということを、意識することも重要だ。  そして我々は、金銭では測れない価値をもっと強く意識するべきではないだろうか。

・金銭では測れない価値とは何か。それは穏やかな生活や自由時間(家族と過ごす時間、自分の趣味に費やす時間など)が不当に制限されないこと、豊かな自然環境をいつでも享受できること、言論の自由などだ。ドイツでは法律や規則が厳しいが、他方で市民に多くの権利と自由を与えている。この国は日本のように信頼や人間関係に基づく社会ではなく契約社会なので、政府や企業は法律で保障された市民の権利や自由を侵すことが許されない。したがって、市民はお金では買えない「豊かさ」を守ることができるのだ。日本は契約社会ではないので、「お客さんの要望」とか、「他社との競争に負ける」などの理由で経営者側が働く者の権利や自由を少しずつ狭めているような気がする。

・ドイツでは、「身体を壊したり家庭生活のリズムを乱したりしてまで、お金を稼ごうとは思わない。ほどほどでいい」と考える人が多い。お金だけではなく、金銭的に測れない豊かさを重視する社会なのだ。  この「頑張りすぎない、ほどほどの暮らし」を社会が肯定することが、収入がそこそこであっても精神的な豊かさを持つことにつながると思う。

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