大竹まこと氏
国会では今日もいろいろやってるみたいですが・・・
壇蜜氏
えらいこっちゃですよ
宮台真司氏
ですが、僕はねいま議論されている時事的な話題っておもしろくないんで、今日せっかく壇蜜さんが口火を切って頂いた問題っていうかですね、ありとあらゆる問題について感情の劣化が進んでいるんだよねっていうことの表れだと思うんだけど、その背後に何があるのかということでね、最近『異界論』という本を出しました、1週間ぐらい前。「異界」っていうのは異なる、或いはストレンジャーたちの、異人たちの界隈ということなんですね。
で、例えば90年という年から引きこもりの最初の形態は登校拒否だったんですけどそれが始まって、そのあと社会に出られない人が増えていく、まったくそれと並行してうつ病ももすごく増えていくんですね。で、その背後は異界が消えたからだよねっていうのは僕の昔からの議論なので、それをまとめて本にした。本の冒頭に文章を載せさせて頂いた・・・。
で、異界には思い出深いものがあります。僕は3種類の異界を生きてきた。で、一つはですね、民俗学で悪所、悪い場所と言われるところなんですね。これは、めまいが生じる場所ということで、芝居町と色街・・・。
大竹氏
色街はわかりやすい。
宮台氏
そうですそうです。で、江戸時代はある種、区画整理みたいにして、昔はお祭りあるいは色街、花街的な眩暈っていうのを、つまり時間的な交替の中で実現していたものを、場所として人形町をつくるとか、吉原をつくるようにしたんですね。
で、第二の異界が差別される者たちの界隈っていうことで、そこには芸能の民、江戸時代には途中から河原者っていうふうになりました。あとやくざの界隈があります。両方とも被差別民がルーツなので、重なり合いが昭和の時代にはかなり話題になっていたと思います。
で、三番目はね、最近またゲゲゲの鬼太郎の映画『ゲゲゲの謎』が公開されましたけど、水木しげるが描いたような空間でいうと人が住むところと住まない山との間、或いは時間でいうと「逢魔が時」って言いますが、夕方のときに、そういうときに人でないものが自分たちに近づいてくるよっていうね、その人でないものの界隈も異界っていうふに呼べる。で、それぞれ僕の世代あるいはそれ以上の世代にとってはすごくなじみ深いものだったと思うんですね。で、異界の特徴を3つ言いましたよね、悪性、被差別の人たち、そして「逢魔がとき」とか境界線に現れる人でないもの・・・、これそれぞれ法に従えない人たち、従わない人たちなんですね。
で、2番目から言うと被差別の方々は、差別されるっていう意味は法に守ってもらえないということで、法よりも掟(おきて)が重要、だから法をたとえ破っても仲間、お前を守るためにおきてに従って前に進むという構えになるんですよね。
実はね恋愛は、ロミオとジュリエットが16世紀、或いは近松門左衛門とか近松半二の世話もの、心中もののことですが、これ全部そういう構造を持っているんですよね。世間が認めなくても私たちはこの恋を貫徹させよう、場合によっては死も辞さずっていう形ですよね。だから文学的にはかなりなじみはあるけど、それは所詮お話しでしょってなってしまったのはこの30年間の話・・・なぜかって言えば「かけおち」っていう形が映画で描かれるのは80年代までなんですよね。90年代にはない。しいて言うと、野島伸司脚本の93年の『高校教師』に、あの頃は教師・生徒恋愛は全く普通のことだったということでそれが描かれていたんだけど、京本正樹演じる所謂スクールガル、フェチみたいなやつと、本当の恋を貫徹しようとする二人って言うのが対象にされていて、その頃から高校生っていうと制服萌えみたいな人達が現れ始めたんだなってことも表しているんだけど、ちょっと話を戻しますけど、例えば法が許してもおきてが許さないとか、法がゆるさなくてもおきてが許すというような界隈がまず皆さんにとって分かりやすい異界のイメージだと思うし、それが恋愛にも関係している。
で、それと良く似ていることだけれど、例えばさっきの色街とか芝居町、これは人々をめまいに陥れ、場合によってはね統治権力が気にするのはそこを起点にしてね、何か良からぬ風潮あるいは世直し運動のようなものが起きないかということで管理したいんだけど、徳川は天明の大火っていうのがあってから、つぶすのかと思ったらつぶさないで、これを集めて管理するっていう統治の効率性をめざした。で、これは重要でね、やっぱり人々はときどき法の外に出ないと生きづらいんだなっていうことを感覚的に十分理解してきた。
壇蜜氏
ガス抜きがほしかった・・・
宮台氏
そうです。それは人類学の感覚からいうと、1万年前ぐらいから定住がはじまった。定住って法が必要なんですよね。まず協働作業だし、種まきから収穫までの時間的な計画も必要だし、収穫物ができたらそれを保全、継承、配分するための、或いは紛争処理のルールも必要だしということで、定住によってはじめて法が出来るんですね。それまでは定住していなくて動き回っていた昔は漂泊民とか言ったけど、正しくはいまは誘導民とか言いますが、動き回るっていう意味ですよね。誘導民ってせいぜいMAXで150人ぐらい、或いはそれよりも随分少ないぐらい動き回っていたんで、法ではなくて共通感覚と生存戦略で前に進んでいた。それが例えばそうですねホモ・エレクトゥスから数えても180万年もそれで生きていて、突然法にしたがう生活を始めたら、やっぱり力が失われちゃうんですよね。で、この力が失われる状態から力が満ちている状態に取り戻すのが、お祭でしたよね。お祭には定住を拒否した人たち、特に所有を拒否した人たちが呼ばれるんですよね。つまり、被差別民が呼ばれる。でこのお祭りのときに普段は差別されているのに、聖なる存在として呼び戻される被差別民が、芸能の民の起源だというのは以前話したと思いますよね。でそうしたことを実は統治権力も事実上わきまえていた。昭和以降もですね、日本のおまわりさんたちは僕が知る限りわきまえていた。
壇蜜氏
だんじりの最中は逮捕者は出ない・・・。
宮台氏
そう!おっしゃる通りです。だんじり、人死にますよね。御柱祭でも人が死にますね。或いは火祭りは日本全国ありますけど、結構やばいところもありましたが、「これは危険だろうどうみても・・・」みたいな祭、あるいは秩父ロケット祭、ロケットを打ち上げる祭も危険で、住居に落っこちたりしていることもありますが、そういうところはねえあまり観光客にはお祭を開かない、あるいはほとんど開かない、共通感覚をもっている俺たちの祭、他所からやってきたヤツが・・・例えばそれはね、最近の統治権力も地場に根付いていないおまわりさんとかがやってきて「危険だからやめろ」とかって「どの口で言ってんだ、ずーっとやってんだ何百年も・・・」みたいな、それがあったんだけど、両方とも失われましたよね。もう絶対ダメってなったでしょ。
壇蜜氏
クロージングの意識が低くなってますよね。
宮台氏
そうです、しかもこのお祭はよそ者のおまえらに統治権力を含めて文句を言わせないんだ、っていう感覚もなくなってきちゃった。で、それに伴って、暗い場所がなくなったっていうのもあるんですけど、人でないものに出遭うんじゃないかっていう恐怖をもつ子どもたちもホントいなくなっちゃったよね。誘拐が怖いとか、なんかそういう犯罪が怖いっていうのに置き換わってしまった。それを僕は社会に閉ざされたクズって言ってるんですね。社会っていうのは法と言葉と損得勘定に縛られた界隈で、その社会がないと定住が出来ないんですよね。しかし、定住だと生きづらくなる、力を失うんで、どうしようもないんでもっとも初期の段階では定期的にお祭りをやる。次の段階ではお祭りで実現していた異界を空間化してそこに行けば法ではないおきての界隈がありますっていうふうにしていた。その知恵が両方ともすべて失われて、社会が生きづらくなったのが80年代。1980年代はね、日本がとても景気が良かった。景気が良いとね、人口の流動性、例えば転勤とか単身赴任とか、めちゃめちゃ増えるんです。それでワンルームマンションもすごく増えて、建設反対運動も起こったんだけど、83年から実はある事件がきっかけでね、公園にいままであった何十年もあった、場合によっては100年以上あった遊具が撤去されていく、典型的には4人乗りブランコとか、ギッタンバッコンとかグルグル回りとか全部撤去・・・
大竹氏
危険なもの・・・
宮台氏
そう、さらにマンション管理組合が責任が問われるというんで、屋上もロックアウト。学校が責任を問われるっていうんで放課後は校門を閉めてロックアウトっていうふうになって、子どもたちのそれまでの遊びの場所が失われて・・・。ただの遊びってみんな思うかもしれないけれど、僕がちっさい時の遊びは年齢も性別、つまりカテゴリーを超えてフュージョンする、だから団地の子もいます。僕は団地の子、でもお百姓さんの子やお店屋さんの子や大地主の子ややくざの子や医者の子がいて、混ざって遊んだんですよね。それが性別、年齢だけじゃなくって、家族的ルーツも超えて混ざるっていうことがあった。これがじつはカテゴリーが違っても仲良くなれるんだよなあっていう、根本的な感覚を育てていたんですよね。
ところが90年代。いろんな犯罪で、ニュータウン、巨大団地もありましたけど、うちは分譲の子なんだから賃貸の子と遊んではいけませんとか、うちは4000万円台なんだから3000万円台から下と遊んではいけませんとか、ホントにクズな親が量産されていったっていうことですよね。それとおんなじで、至る所で残念だけど異界に対する想像力がないから言葉と法と損得の枠の中で、批評する、評価するような、それをクズと呼んでいるんですけど、言葉や法や損得の奴隷が増えていった、イコール異界が消えたということなんですよね。
大竹氏
お祭も色んなところに観光名所みたいに外から人が押し掛けるようになって・・・
宮台氏
そうなんです!そうするとお祭りは、
壇蜜氏
よそ行きになります。
宮台氏
色んな人に申し上げているんだけど、古いお祭りの伝統を知ってる人はね、あまりインバウンドを期待しない。それを期待してお金を回そうとすると、残念だけど行政がいうとおり、法の枠の中ですべてが行わなければいけないというふうになるだけじゃなくて、人々の感受性も変わっていっちゃうんですよね。
大竹氏
祭が要するに表になっちゃう。
宮台氏
そうです。祭はもともと無礼講と言われていました。広い意味では乱交を指していたんですけど、無礼講ってはめを外すっていう意味でね、はめをときどき外さないとこのつまらない日常、はめをはずさないとやってらんないよね、で実際やってられなくなったから、90年代からこんなに引きこもりが増えて、さらに性愛からの退却も増えて、それだけじゃなくてKY-空気が読めないをおそれてキャラを演じるから親しくなれない、なんでも話せる友達はいますか?いると答える人はいま大学で100人に一人いるかどうか、っていうふうになった。
壇蜜氏
「やってらんない」はもう消化できなくなってきちゃったんですね
宮台氏
そうです。僕もADHD(発達障害「注意欠如・多動症(ADHD)」)なんだけど、ADHDとASD(自閉スペクトラム症)と双極性、つまり「そううつ」っていうのは併発が多いんですよね。昔はそううつって、2型のそううつだから、うつがベースでときどき上がるっていうやつでしたけど、これね病名がついちゃうと病気みたいに見えるけど、要するに「つまんねえ!」ってことなんですよ。「つまんねえな」・・・。だから力が失われて、やる気がもう出ないよ、なんで社会に出なきゃあいけないのっていうふうな感じになっていく、それが病気って考えると分かりにくくなっちゃう。ちなみにね、時代は前も話した記憶があるけど、統合失調の時代、これが1980年代に入るぐらいまでだよね。これはね、共同体、人間関係がすごい密だと起こりやすいんです。それはなぜかっていうと、人間関係が密だとホントは憎しみがあるのに愛があるように言葉をかけるとかふるまうとかということによって、実は言葉の解釈の仕方が或いは意味の了解の仕方がどんどんずれていく・・・、これが実は当時は分裂病と言われてましたけど統合失調・・・。ところが80年代にばらけていくでしょ?ばらけていくとどこの国でも激減していくんです。で、代わりにでてくるのが、ばらけた人間たちを「おきて」ではなくて「法」しかないんです、そうすると生きづらくなるということもあってうつの時代になるんです。だから分裂病の時代、統合失調症の時代からうつの時代になった。それがかなり長い間続いていて、いまも続いているんだけど、2010年からこれ世界中で顕著なんだけど、発達障害、つまりADHD、ASDの時代になった。で、2007年にスマホが出て、2010年ぐらいからSNSとコメント付き動画、YouTubeみたいなものが子どもたちに一挙に広まっていくようになって、五感の使い方が変わったからじゃないかなあっていうのが僕の仮説です。ただうつの時代は終わってない、だってつまらないんだもん。
大竹氏
その異界と呼ばれる行っちゃいけないような場所、そこがなくなってきた。祭も表にとってかわっていく、観光客が来るようになってしまった。
壇蜜氏
目的が変わった・・・。
大竹氏
吉原も発散する場所であったのが、なくなってしまった。正しい生活の中に組み込まれなくなってしまった。残っているのはオバケの世界だけですが、ここはどうなりましたか?
宮台氏
さっき申し上げましたが、異界の二つ、つまり悪所が消えて被差別の人と接触することも亡くなった。これいいことですよ、差別がなくなることはいいことなんだけれど、でも法が守れないなら俺たちのおきてが守るという界隈、そういう感受性が差別、被差別に関らずなくなったってことは残念。
さて水木しげるさんは、ニューギニア、ラバウルで九死に一生を得たんだけど、お土産を持って帰ってるんだよね。それはラバウルにはものすごいアニミズム的な感覚があって、だから単純にいうとですね人でないものと絶えず交流するっていう感覚がある。で、思えば日本もずーっとそうだったけれど、急速に高度経済成長の中で消えつつあるっていうことで、1960年に「ゲゲゲの鬼太郎」の初期バージョン「墓場鬼太郎」っていうのを出して、ゲゲゲの謎はその墓場鬼太郎のその前はどうだったのかっていう話、これは最近映画になっているんだけど、水木しげるさんのコンセプトは墓場鬼太郎そしてゲゲゲの鬼太郎の謎にもちゃんと描かれていて、人間の世界が人間の世界だけで社会が社会だけで閉じているという感覚のなんとつまらないことだろうっていうのね・・・。
大竹氏
それはいま日本で起こっていることですが、世界でもそういうことは起こりつつあるんですか?
宮台氏
そうです、あります。
大竹氏
ヨーロッパとか?
宮台氏
まずアメリカでそういうことが非常に起こりやすくなっています。
壇蜜氏
ものに魂が宿るっていう意識を持ってない子どもたちがどんどん増えますよね、これからは。
宮台氏
だからものに魂っていうのがものすごく大事なこと・・・、例えば僕が子どもの頃「おてんとうさんが見てるよ」とか誰がみていなくても、色んなものが壁が見てるし、だって「壁に耳あり障子に目あり」って、人のイメージだけれども、壁も見てるし天井も見てるし天井の神様も見てるよ・・・。それはちょっと前までバリ島に行くとね、バリってバリヒンドゥっていって朝起きるとね110幾つの神さまにお祈りするんだけれど、それ全部何とかの神様、何とかの神様、ああ昔の日本とおんなじじゃん、いろんなものに僕たちを見る力があるよね。だからなにかズルしようと思ってもなにかが見ているよ、だから罰が当たる。罰が当たるっていうのはそこだけ当たるんじゃあないんだよね。昔はいろんなものが見てますよっていうね、そういう感受性があった。逆にいうと人は独りぼっちでもものが見てくれる、動物が見てくれる、花や木がみてくれるっていう感受性が人をさびしくしなかったんだよね。
壇蜜氏
いまは、何かに見られてるとか見守られてるって感覚はもううすいですよね。
宮台氏
うすい。
大竹氏
都市に行けば行くほど寂しさは増してきますよね。
壇蜜氏
結局頼るのは、SNS・・・。
宮台氏
そう。でも本当はSNSではなくて、人を生身で頼るべきなんだよね。仲間だ、家族だ、恋人だっていうのはそういうものだけど、まさにそういう人たちの包摂の力がなくなるということが、異界が消えるということと同じだから、みんなつまらないでしょ?生きづらいでしょ?でなにか面白そうな人をみつけると、ただ妬み嫉みで爆発的に炎上する。それを見るとかわいそうだな、毎日つまらない生活を送ってんだな、死ぬまでやってればって思います。
大竹氏
人と比べればそういうことになっちゃいますね。
壇蜜氏
だから芸能人になにかあれば大騒ぎ、著名人になにかあれば大騒ぎ、あとは知らない・・・いうふうな
大竹氏
盛り上がって、あとは知らない
壇蜜氏
あとはむなしさだけが残る・・・、それの繰り返し。
宮台氏
すばらしいコメントでした、有難うございます。



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