お盆の時季に奈良を彩る燈花会が開催される意義は大きい。
1つ1つの灯に思い出や願いが宿る。
ただ単にきれいだからと訪れる人も多いだろうが、亡くなりし人の魂の現出として灯に向かって胸中の祈りや願いで手を合わせる人も多い。
私もその一人かもしれない。
きれいごとではなくて、現世で充分なことが出来なかった悔いがそうさせたりもする。

浮見堂から素晴らしい建物の仏教美術資料研究センターを通り、東大寺参道へと出る途中、「浅茅ケ原」へ。

ここでオリンピックの五輪を竹で形作ったモニュメントを見かけた。
こういう作品には賛否両論があるだろうが、私は不要論を推す。

浅茅ケ原を抜けると、東大寺前の参道に出る。
混雑が一際大きくなるのは浮雲園地があるからで、ここでは一段と多くの灯がともる。
向かって右側では灯と灯の中に入って記念撮影なども可能。
左側は広大な園地に無数の灯と出会うこととなる。
人はこの灯の群れと遭遇し、思わず「うわー」「スゴイ」「キレイ」と叫ぶ。



東大寺の参道は日本一の参道に違いない。
あらゆる人を受け容れる包容力は、奈良公園のそれと一体化している。
どこから境内に入ってもいいし、入らなくてもいい。
若草山や春日山原始林と連なりそれらの自然と一体化した領域と、山々の反対方向はならまちをはじめとする市街地とも拒絶しない。
幾度見ても見飽きない金剛力士像の阿形吽形の2体は誰もが無料で拝観することができ、撮影することも可だ。


東大寺の懐の深さは、二月堂も同じ。
この時間でも参拝しようと思えばできるし、寺の欄干から奈良市街を見渡すことも可能だ。
こういう寛容さは京都にはない。
ここが決定的に違うところだと、私は思っている。



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